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シストとカタリナの由来
パードレは、「シスト」をシスト2世からとった。
彼は、アテネ出身のギリシャ人だが、イタリアのローマで司祭になり、ローマ皇帝のキリスト教徒への迫害のさなか地下教会の為に働き、ローマ司教、つまり、ローマ教皇になり、カタコンブと呼ばれる大地下墓地から信者を指導した。
そして、このカタコンブの中でミサを行っている最中、密告により皇帝の軍隊に踏み込まれ、そこで首をはねられるというドラマチックな殉教をとげた。
そして、又、パードレは「カタリナ」をシエナの聖カタリナからとった。
彼女は、永遠の御父との対話と「涙の霊性」という泣きながらの祈りと嘆願の毎日を送ったことで、非常にユニークな聖女だ。
彼女は、慈善家として大活躍し、多くの人に偉大な影響力をもった。
彼女に賛同し、彼女の活動を助けた人々は「カタリナの軍隊」と呼ばれた。
パードレと二人の同宿は外国から来て鉱山で指導者になるということと、「お父さん、エーン、エーン、ヒック、ヒック、お父さん、エーン、ヒック、ヒック」と泣いていることだけで、シストとカタリナとあだ名をつけ、「ピッタリだ」と言っているのだが、三人は、シストがこれから、日本中の鉱山を結ぶ地下教会をつくりあげ、指導すること、その助け手として、カタリナが慈善の行いをもって奇跡的ともいえる成果をあげることを今のところ知るよしもない。
武士達が出発を命令する。
ルイスは、鉄の大鍋を背負い、シストとカタリナといっしょに歩き始める。パードレとパウロは、歩き始めた、他の高麗の捕虜たちにも、慈しみ深く、慰めを与えるために、一人、又、一人と次々に声をかけ、話をし、話を聞いていく。
1592年7月、有馬である。武士達は有馬のキリシタン大名、ドン・プロタジオ有馬晴信(はるのぶ)の家臣だったのだ。
捕虜達の第一陣は、日本におけるイエズス会の本拠地の有馬に連れてこられ、キリシタンの農民たちの家に分散して住まわされた。
シストとカタリナがルイスに連れられて一軒の農家に着いたところだ。
海が近い。
有明海だ。
そして間近に迫る雲仙の高く大きな山体。
こんな南の地、しかも海のすぐ側でありながら、山頂は冬になると雪をかぶる。
ここでも、また、夫はシスト、妻はカタリナとルイスから家人に紹介される。
家の人たちが、二人の足を指さしている。
二人のはだしの足は、足首から下が赤く大きく腫れあがっているのだ。
頬はこけ、シストのひげは伸び、カタリナの髪はほつれている。
7月といえば、もう暑い九州の道を、はだしで何日も歩きづめに歩いたのだ。
二人は家の人の表情と声の調子から、大変に同情してくれているとわかる。
ルイス
「マリアさまとヨゼフさまを預かったと思って、この二人の世話をしてくださいね。
この二人にしてあげることは、イエズスさまにしてあげることになるのですから。
神があなたたちに豊かに報いてくださいます。」
家の主人
「ルイスさま、安心してください。イエズスさまに仕えるように、この二人に仕えますから」
ルイス
「シスト、カタリナ、またくるからね。」
ルイスが去ろうとする。二人はそれを見てあわてて言う。
シスト
「ありがとう ルイス」
カタリナ
「ありがとう ルイス」
ルイスが去った後の何という心細さ。二人はまだ日本語がわからない。
カタリナ
「あなた、着いたのかしら、もう旅は終わったの。」
シスト
「そうみたいだね。」
カタリナ
「わたし、立っていられない。」
カタリナは、着いたと思ったら、疲れがふきだしはじめたのだ。
足が棒のようにこわばっていたから、立っていられたのだが、今、しゃがもうとするとストンとおしりまでもついてしまい、それでも止められず横ざまに土の上に倒れてしまう。疲れで全身が痛む。もう立ち上がれない。
家の奥さん
「まあ、大変。なんてかわいそうなの。」
家の人たちのキリスト教的兄弟愛が爆発する、一斉に皆がカタリナに駆け寄り、抱き上げシストと共に家に連れて行く二人は親切の大洪水に沈められる。
2008年5月9日 UP
著者 ジャン・マリー神父・ソーンブッシュ・リトルヨハネ
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